レイコとシンジ-リベンジ-中編補完- 4

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「アハハハッ!慎治、何バカ言ってんのよ!死ねるもんなら死んでごらんよ!ほらほらほら!死ね死ね死ねーっ!!!」礼子は慎治の悲痛な叫びに一層興奮し、更に力を込めて鞭を浴びせかけた。鞭の真の残酷さはそこにこそあった。慎治に気の狂わんばかりの激痛を与えながらも、礼子たちの鞭は決して致命傷にはならない。ロシア鞭クヌートのように皮膚を引き裂き、肉を弾けさせるような鞭でも使わない限り、いくら厳しい鞭でもそう簡単に人間の体は死ねないようにできているのだ。そしてこれだけ激しい苦痛を間断なく、しかも全身のあらゆる箇所に分散して与え続けられては気絶することさえ難しい。だから慎治はひたすら激痛に全身を犯され続けるしかなかった。「ギア゛ッ・・・ギャーッ・・・ビエ゛<bッッ!!!」四人が前後左右から同時に加える鞭に慎治は悲鳴を上げ続けた。体を吹き飛ばされるような、全身がばらばらに引き裂かれるような痛み。礼子たちの長い鞭は慎治の体に絡みつき、打撃の苦痛を加えた後に、そのまま体の中に食い込むように絡みつき、締め付けるような苦痛を体の内部へと送り込む。「グウィーッッ、グ、グルジイ・・・」慎治は礼子たちの鞭が巨人の手に変り、自分の体を握りつぶそうとしているような錯覚さえ感じた。余りの痛さに呼吸することさえ困難な苦痛だ。四倍鞭どころではない、十倍、二十倍の激痛だ。しかもその激痛の鞭は四方から間断なく飛んでくる。あまりに数が多すぎていつ、誰の鞭に打たれているのかさえ、もうわからない。よけるも何もない。ただ鞭打たれるだけ。倒れることすらできない。な、なぜ・・・なぜこんな目にあわされているんだ???ぼ、ぼくがなにをした???すべての疑問さえ無意味だ。慎治が立たされている空間は礼子たち四人の鞭で満たされていた。苦痛と絶望のみが存在する世界、月並みな言い方だが地獄、と呼ぶしかない空間だった。そしてその地獄を現出させているのは、醜い地獄の鬼とは対照的な美しい四人の少女だった。醜い、といえば裸にされて鞭打たれ、涙と涎に顔中グチャグチャにして泣き喚いている慎治の方がよほど醜かった。さすれば、鬼はむしろ慎治、そして礼子たちは地獄の鬼どもさえ罰することのできる女神、ワルキューレといった方が似つかわしかった。

慎治は無限とも思える時間、苦痛のみを味わい続けた。だが漸く、凍りついた時間も動き出そうとしていた。四人掛かりの鞭、その余りの威力に慎治の肉体が限界に達し、全身に刻まれた内出血の跡の何箇所かが皮膚の張力の限界をついに超えて裂け、血を吹き出した。「やったやったーっ!血よ、血が出たわーっ!みんな、集中攻撃よ!止めを刺すわよ!」礼子の号令に合わせ四人全員が鞭の打ち方を変えた。全員の鞭が慎治の傷に集中する。更に礼子たちは絡めた鞭を素早く手元に引き戻す引き鞭の責めを加え、慎治の皮膚を引き裂きにかかった。ビッ・・・ピシュッ・・・バシュッ・・・パシューンッ・・・巨人、いや魔神の手と化したような礼子たちの鞭は今までの打撃と締め付けに加え、爪で慎治の体を引き裂く責めを追加する。慎治たちを何千回も打ち据えてきた礼子たちの鞭テクニックは最初の頃とは比べ物にならない位、上達している。単に打ち据えて打撃の痛みのみを与える、絡むように打ち据えて打撃と締め付けの二重の苦痛を与える、そして絡ませた後に素早く鞭を手元に引き戻し、打撃、締め付けに加えて返しの鞭で皮膚を切り裂く三重苦を味合わせる。自由自在に鞭を操り、慎治の苦痛のレベルを思うがままにコントロールできる。

単純に鞭打たれるだけの苦痛なら痛い、とは言っても慎治たちにもなんとか耐えられる。だが礼子たちが磨き上げた鞭の技術、様々な残酷なテクニックを駆使してくるともう駄目だ。慎治たちの痛みに対する耐久力レベルは最初と比べ、多少は向上しているとは言っても大した進歩はない。余程強烈な信念でもない限り人間が耐えられる苦痛には限界がある。それに対して礼子たちの技術の進歩には限界がないのだ。だから今では、礼子たちはいともた易く慎治たちの限界を超える苦痛を与えられるようになっていた。慎治たちが耐えられるのは単に、礼子たちが鞭打ちをゆっくり楽しむために苦痛のレベルを下げてやっている時だけだ。礼子たちが手加減し、弄んでいる間は延々と苦痛が続く。そして礼子たちが本気を出したら・・・破局が待つのみだ。

礼子たちだって最初の頃はただ単純に鞭を振るい、打ち据えるだけしかできなかった。だが体育会的な生真面目さ、とでも言ったらいいのだろうか、礼子たちは慎治たちを鞭打ちながら熱心に技術を向上させていった。その成果だった。礼子たちは鞭に本気でのめり込んでいた。慎治たちを鞭打つ時だけではない。自宅にサンドバッグまで用意し、色々トレーニングを積んでいた。巧みに鞭を相手に絡める感覚、間合いの掴み方はそのトレーニングの賜物だ。今、慎治が味合わされている引き鞭も礼子たちが何度も何度も練習を積んで身につけた貴重な技術だ。スナップを効かせながら打ち込んで、鞭が相手に食い込む感触を覚えた時はあっ、分かった、と一つ自分のレベルが上がった実感に喜んだものだ。そして相手の体に食い込ませた鞭を素早く手元に引き戻す、打ち込んだ次の瞬間に鞭を引き戻し、相手の体の上に鞭を走らせるテクニックは何度も何度もサンドバッグ相手に練習し、漸くモノにした財産だ。サンドバッグに食い込んだ鞭がビシュッと表面を走っていく感触を始めてゲットした時にも、よし、この感覚ね、と何とも言えない達成感があったものだ。礼子たちだけではない。いくら礼子たちにコツを懇切丁寧にコーチされたとは言っても、富美代と朝子だって簡単に、単に慎治たちを1000発程度鞭打っただけで免許皆伝となったわけではない。二人もやはり、毎日のように自分の部屋でサンドバッグ相手に熱心に鞭を練習し続けて教わったテクニックを自分のモノにしたのだ。空手や合気道、少林寺拳法の練習用に買ったサンドバッグだったが、鞭の練習用にも最適だった。鞭を振るう時だけではない、全ての格闘技の基本となる様々な筋力トレーニング、ストレッチングを礼子たち四人は毎日欠かしたことがない。

努力に勝る天才なしとよく言うが、天才が努力したら凡人がどんなに努力しても絶対に追いつけない。丁度タイガーウッズがそうであるように。礼子たち二人は紛れもない天才、その天才がこれだけ練習したのだ、鞭が上達しないわけがない。富美代と朝子にしても、礼子たち程ではないにしても相当程度の才能がある。熱心なトレーニングと礼子たちの的確なコーチングがその才能を如何なく開花させていた。鞭打つ側の四人がこれだけ練習していたのに対し、慎治たちは何をしたのだろうか。何もしなかった。ひたすら礼子たちのご機嫌を損ねないようにビクビクし、鞭打たれる時には情けなく泣き喚いて許しを乞うだけだ。何もしていない。体を鍛えたわけでもないし少しでも痛みを和らげる方策を考えたわけでもない。あれだけ痛めつけられたのだ、痛みに慣れ、多少は痛みに対する免疫ができたとは言っても所詮、受身に過ぎない。頭も体も、何も使っていないのだ。これではどうしようもない。努力した天才と何もしない凡人。只でさえ鞭打つ側の礼子たちは鞭打たれる側の慎治たちより絶対的に有利なのに加え才能の差も歴然。その上更に努力まで礼子たちが遥かに上ではどうしようもない。

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