JOYさんの作品「ファンタジー」<第五章>

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騒がしいJAZZがかかる薄暗い店の中で、わたしは一人絶望的に孤独な気分で座ってい た。

おねえさんと別れてしばらく南口の本屋で時間をつぶしたが、待ち合わせのお店を知 らないことに気がついて、本屋を出てお店を探した。お店はポルノ映画館や風俗店の 並ぶいかがわしい一区画にあった。なんの仕事をしているのか分からない中年のオヤ ジがたくさんいて、淀んだ黄色いまなざしでわたしを見ていた。

こんなところに来るのは初めてだったし、周囲は暗くなってきて、わたしは視線を背 中に感じて固まったまま、引き返すべきかどうか迷っていた。自分がどこか間違った 世界に迷い込んでしまったような気がした。

本当におねえさんはこんなところによく来ているんだろうか。

ちいさな看板に、「Jazz & Wine SALT 」と書いてある。

まわりに学生らしい人の姿はなく、サラリーマンや大人のカップルが次々と街角に消 えていった。知らない間に街は夜の装いに身を包んでいた。

目の前の地下へと続く薄暗い階段を見つめながら、わたしはそこに立っていた。そし て悩んだ挙げ句、思い切って階段に足を踏み入れた。

ここで引き返すとこの店に二度と来られないと思った。

だけど階段を降りたら二度とここへは戻ってこられないような気がした。

「いらっしゃい」

地下へ降りるとそこは薄暗い狭いバーで、店の中には、タバコの匂いと音楽が充満し ていた。髭のマスターらしき人と、水色のタンクトップを着た色の黒いダンサーみた いなおねえさんがいた。常連らしきおじさんがカウンターに座り、タバコを吸いなが らじっと音楽を聴いていた。カウンターの反対側には外国人の男性が二人でウイス キーを飲んでいた。

「カウンターと奥とどちらにします?」

タンクトップのダンサーが無愛想に聞いた。

「あの...待ち合わせなんですけど....」

電話機の横におねえさんからもらったものと同じマッチがあった。

「奥でもいいわよ。今日は空いているから。」

「....はい....」

わたしは狭い通路を通って奥の壁際に作られたビニール製のソファに座った。

古い木の匂いがした。

ダンサーは黙って汚いメニューを机の上に置いた。

メニューには見たことも無い飲み物が並んでいた。

どれもお酒の名前であることは想像がついた。

ダンサーは外国人と英語で話して大きな声で笑っていたかと思うと2分も経たないう ちに戻ってきたので、わたしはあせって、メニューにあったロングアイランドアイス ティーという飲み物をたのんだ。出てきた飲み物は中にお酒が入っていて、わたしは 一口飲んだだけで少し酔っぱらう気がした。

おねえさんとの待ち合わせの時間まで、まだ1時間あった。

暗い店の隅にじっと座ったまま、居心地の悪さと不安に耐えた。 こんなに早くお店に入ってしまったことを少し後悔した。 幸い店の人たちはわたしに無関心で、身に危険が降りかかる恐れはなさそうだった。 流れる音楽はわたしの知らないものばかりだった。

ふと、おねえさんが来なかったらどうしようかと考えたらとんでもなく不安になっ た。

孤独と不安。

飲み物をゴクゴク飲んで、タバコに火をつけて吸った。

頭がグラグラしはじめたけど、なんだか気分は楽になった。

壁には様々な古いレコードのジャケットが掛かっていた。

その中の一つに砂漠の兵士の写真があった。

兵士は月を見ていた。

戦場での束の間に、疲れた兵士が銃を抱えて月を見ていた。

兵士には怒りも哀しみも欲望もなく、ただ月を見ているのだった。

店の中は新しいお客で徐々に混み出していた。空気は悪く、タバコの煙とお酒の酔い でわたしは頭が痛くなってきた。

約束の時間を30分過ぎておねえさんが店に入ってきた。

奥にいるわたしを見つけて手を振った。

わたしは思わず立ち上がったが、緊張の糸が切れて、腰から砕けるようにソファに座 り込んだ。 おねえさんはカウンターに何人か知り合いがいるようで、椅子の背を通りながら笑っ て挨拶を交わし、通路の奥のソファーへとやってきた。

「ごめんねー。おそくなっちゃって。」

「....はい....」

おねえさんの顔を見ると、涙が出そうになった。

「ああー。泣かないのー。あははは....こういうお店はじめてよね。ごめんごめ ん、こわかったぁ....あははは....」

「ずいぶん前からお待ちかねよ。」

ダンサーが後ろで笑っていた。初めて見る笑顔だった。

「あんたが脅したんじゃないの。こんな可愛い娘。鬼みたいなおねえさんがいると恐 いわよねー。」

「ジョーダン!丁重におもてなししておきましたわよ。ビールでいいの!」

「あははは...それじゃビール。」

おねえさんやはり常連らしく、なんとなくこのお店の空気に溶け込んでいた。

「ごめん、おなか空いたでしょ。ちょとだけここで飲んでなんか食べに行きま しょ。」

「....はい....」

わたしはもう一杯同じロングアイランドアイスティーをたのんで、おねえさんと一緒 にゆっくりと飲んだ。

おねえさんが現れたことで、わたしは少し元気になった。お酒の酔いも手伝って、な んだかいつもよりお喋りになっていた。こんな場所でおねえさんと話しているのが不 思議だった。学校の話になって、わたしがケイコに狙 われているかもしれないという話をしたら、おねえさんは笑って「付き合っちゃえ !」と、ひとりで盛り上がっていた。一杯だけ飲むと言っていたおねえさんは、ビー ルのあと、ドライ・マティーニとカンパリソーダというお酒をたのんで、三杯目を飲 み干した。

ふと会話が途切れ、わたしは尋ねた。

「おねえさん、御仕事はなにをしているんですか? モデルさん...?」

おねえさんはわたしをじっと見た。ちょっと考えるような表情をしたあと、四杯目の お酒をダンサーにたのみ、タバコに火をつけた。煙を吐き出しつつおねえさんは下を 向いた。そしてわたしのほうへ向き直ると、やわらかな表情でわたしに聞いた。

「SMって知ってる?」

「...えっ.....はい....」

「わたしね、SMの女王様の御仕事しているの。」

「......」

「びっくりした?」

「...あっ、いえ...なんか...あの....」

「あはは...いいのいいの、びっくりしたでしょ。お嬢ちゃんには刺激が強すぎた かしら。」

ダンサーが笑いながらテーブルに四杯目のお酒を置いた。チラッとわたしの顔を見た ような気がした。

「男の人を縛ったりいじめたりするの。そういうことをするお店があるの。わたしは そこに勤めている職業女王様なの。」

「....あっ...はい...そうなんですか...」

静かにわたしを見るおねえさんの眼に吸い込まれそうになった。

「もともとはオフィス機器の会社でOLしていたのね。でもね、プライベートでのセッ クスのときにはそういうPLAYをしていたの。そのうちだんだんPLAYのほうが普段の生 活より面白くなってきちゃってね、会社を辞めたの。SMってね、PLAYしているといろ んな人のいろんなことが見えてくるの。そういう、人の心の中みたいなものに興味が あったのかな...。別に会社がつまらなかったわけじゃないんだけどね。」

おねえさんは新しいお酒を一口飲み、次のタバコに火をつけた。

「御仕事だけどね、セックスに関わることだから、気持ちが大切なの。その気持ちの コントロールがなかなか難しいんだけどね。いろんな思いを持った人がいて、PLAYを することで気持ちが満たされるの。そんなPLAYが出来たときって、愛情とは違うけ ど、なんか気持ちのいい一体感みたいなものがあってね、そういう瞬間が楽しくって ね...」

わたしの頭は混乱していた。

「変な話でごめんね...。 つまんない?こんな話?」

「いえっ...そんなことないです......」

「SM PLAYってちょっと通常とは変わった行為だけど、そういう場でしか分からない こともあってね、そういう場でしか表現できない自分があるの。それをPLAYする相手 とお互いに探り合って、受け止め合うの。ちょっと形の違った恋愛の駆け引きみたい なものかな....。 恋愛とか愛情ってね、きっといろんな形があると思うの。SM も多分そのひとつの形。....ちょっと、抽象的すぎてわかりづらいかし ら...。」

「いいえ、わかります....なんとなく....。わたしもちょっと人とずれてい るところあるし...なんか、他の人の気持ちがつまんないときとかあるし...」

「......?」

「その...恋愛っていうか、人を好きになるときに人のことってよく分からなくっ て...あんまり他人には言わないけど、自分の中でも大事なこととかあって、他人 に言ってもよくわかんないこととかあって...なんか自分が変なのかとか思ったり して....でも、学校にも変な娘とかたくさんいて....そんな娘とはあんまり 仲良くないんだけど....なんか自分の気持ちを上手に話せる相手とかあんまりい なくって....変な人ってなんか人の気持ちをよく考えてくれるっていう か.....」

「......」

「...すいません....なんか変なこと言って....」

「あははは!....」

おねえさんは突然笑い出し、隣りに座ったかと思うとわたしを抱きしめて、頭をク シャクシャになでまわした。

「いやーん、もうこの子ったら、可愛いーの...あははは、なんか変な気をつかっ たりしちゃって....もうー...。あはははは...よし!今夜は飲むわよ!乾 杯よ!だいじょうぶ? まだお酒飲める? 飲めなくてももう一杯は付き合いなさい! 友情に乾杯よ!あはははは...ミキ! この子にもう一杯つくってあげて!」

わたしはもうすっかり酔っ払ってきていたが、楽しそうに笑うおねえさんを見て、な んだかうれしくなって、一緒に盛り上がって乾杯した。

ミキと呼ばれたダンサーがわたしのソファーの背に腰を掛けて話を聞いていた。 そしてまた、マンハッタンとホワイト・レディというカクテルを飲んだ。

騒がしいJAZZが酔った頭の中にまとわりついて渦を巻いた。

オレンジ色の照明が影を落としたグラスの縁を舐めた。

時間はもう分からなかったけど、楽しくて騒いだ。

夜が溶けてゆくようだった。

そして少しだけ自由になった気がした。

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