JOYさんの作品「ファンタジー」<第四章>

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「あれ..髪の毛切ったんだ...」

1時間目の後にケイコが遊びにきた。

「ふううん...」

ケイコはにやにやと笑いながらわたしの周りをくるくると3度ほどもまわり、なめま わすように見たあと、

「合格!」

と言って突然わたしのほっぺたにキスをした。

「えっ..な、なによう...もう...」

突然のキスでびっくりしたあと、首筋から自分が赤くなってゆくのが分かった。

「えへへへへ...かわいくなったよ、食べたいくらい..あははは...」

ケイコは笑いながらバタバタと走って自分の教室に戻って行った。 クラスの女の子達は、キャーキャーとわたし達の様子をはやし立てた。

これからはケイコに用心しなければと思った。

キスされた方のほっぺたの傷はなおりかけていた。

3年生の期末試験は入試前の実力テストで、試験は三日で終わった。 結果は上々とはいかなかったけど、ヤマを懸けていないわりにはよく出来た。一週間 もたつと冬休みに入り、そのあとは学校に来なくてもよくなる。

受験生の冬だ。

女子校一般にそうなのか、わたしの学校が特別なのか分からないが、わたしのまわり の女の子たちには、受験生という言葉のもつ悲壮感はまったく感じられなかった。ク ラスの中はあいかわらずのんびりした、お嬢様のお気楽な井戸端会議みたいな雰囲気 が漂っていた。ただ、テレビ番組やアイドルの話題は少なくなったように思った。

風がほんのりと暖かく、晴れた日が続いた。

やわらかな青空に、白い雲がゆっくりと形を変えた。

試験が終わった次の日から、わたしは新宿の南口でおねえさんを待った。来るかどう かも分からなかったけど、会いたいという気持ちがどうしてもおさまらなかった。人 を待つのがこんなにつらいものだと初めて知った。なんだか自分が渋谷の忠犬ハチ公 になったみたいで、その姿を想像してひとりで笑った。

駅には人待ち顔の人々が溢れていた。不機嫌そうな顔、不安そうな顔、退屈そうな 顔。そんな人たちの顔が、待ち合わせの相手を見つけると、光が射したようにパッっ と輝いた。その瞬間がなんだかとても素敵に思えた。そして、ふと、わたしにもあん な笑顔ができるだろうかと思った。

冬の落日は早く、日が暮れた後はまだ寒かった。

新宿でハチ公を続けて二日目の夕方、おねえさんは現れた。

声をかけてくる変なヤツを無視してやり過ごしていた時、改札口からグレーのコート を着た女の人が歩いてくるのが見えた。

瞬間、体中に電気が走った。

あの人だ。間違いない。

まわりの人々が風景となって流れた。

おねえさんはグレーのコートに黒のパンツで、黒い皮の手袋をしていた。

早足にわたしの前を通り過ぎようとしている。

わたしの体は硬直して動かなかった。

声を出そうとしたけど、のどの奥で固まって動かない。

心臓だけがバクバク鳴っているのが聞こえた。

目の前が白くなりそうだった。

おねえさんの姿が人込みの中に消えてゆく。

そのとき、わたしは走り出した。

「あのっ..すいません...」

おねえさんはビクッとして立ち止まった。

「はい....」

振り向いたおねえさんは、怪訝そうな顔でわたしを見た。

「....あの....先日そこで....」

「.....」

「....ほっぺたを....」

「ああ...あなた...」

おねえさんの表情がくずれて、笑顔になった。

「あらぁ、全然わからなかったわ。髪型変わって洋服もちがうんだもの。」

「こんにちは....」

制服はルミネのトイレで着替えた。

「学校終わったの?」

「いえ....でも試験が終わったんで、もうすぐ冬休みなんですけど....」

おねえさんは少し身を引いてわたしの姿をしげしげとながめた。

「髪の毛切ったのね。 うふふ....似合うわよ、思ったとおり。でも勇気いった でしょう、ここまでバッサリいくのは....ううむ....大人っぽいというより 逆になんか小っちゃな男の子みたいになっちゃったかしら....」

「.....」

「あはははは...ごめんごめん、わたしが自分で言っておいて....失礼よ ね...あははは....あーあ....。 だいじょうぶよ、今のほうがずっと魅 力的よ。まえの髪型もかわいかったけど、今の短いほうがずっといいと思うわ。うん うん、よく似合ってる。」

くすくすと笑うおねえさんを見ながら、わたしは停止した頭の中で言わなくてはなら ないことを考えた。

「....あの....」

「ん?」

「....あっ....これ、このあいだのハンカチ....」

買っておいたCELINEのハンカチの包みをおねえさんに渡した。

長く持っていたせいで包みがしわになっていた。

「あら。いいのに、そんなの気にしなくって....。ひょっとしてそれでわざわざ 待っていてくれたの?」

「いいえっ....そういうわけじゃ....」

「そう....。 じゃあ、せっかくだから頂くわね。ありがとう。 ああ、ほっぺた はどう?」

おねえさんはすっとわたしに近づき、手袋を外した手でわたしのほっぺたに触れた。 わたしはビクッとして、身を引いた。

おねえさんの指を頬に感じた。

顔が熱くなって行くのが分かった。

おねえさんの顔が真近に見える。

あの香水のかおりに包まれた。

おねえさんはわたしのほっぺたをじっと見ている。

「うん。だいじょうぶね。きれいに消えると思うわ、傷の跡。まだちょっと残ってる けど ....。バンソウコウはってあげようか。やんちゃ坊主みたいになるわ よ...あはははは....」

おねえさんはいたずらっ子のように笑った。

「....はい....あの、いろいろとありがとうございました....」

「いいえ。 こちらこそ。じゃあね、元気でね。またどこかで。」

「あっ、あの....」

「ん?」

「....あの....もしお時間あればまたちょっとお話したいんですけ ど....」

「.....」

言ってしまった。わたしはなにを言っているんだろう?

突然恥ずかしくなってうつむいた。

しばらく沈黙があったので、わたしは耐え切れなくなっておねえさんのほうを見た。 おねえさんは、ちょっと考え込んでいるようで、心無くたたずんでいた。そんなおね えさんの姿がきれいだと思った。

「....今日だったら遅くなっちゃうけどいいかしら...」

おねえさんはわたしを見て言った。

「はいっ、だ、だいじょうぶです。」

「....そう....じゃあ、3時間後にここのお店に行くからそこで待ってて。 ちょっとしたバーだけど、その格好ならあなたも入れると思うわ。裏に簡単な地図と 電話番号が書いてあるから。じゃあこのお店で3時間後ね。」

おねえさんは「SALT」と書いたお店のマッチをくれた。

「はい....ごめんなさい....無理いって....」

「オッケーよ! じゃあ、あとでね。」

おねえさんはにっこり笑ってわたしに手を振り、腕時計を見て急ぎ足で歩いていっ た。

おねえさんが行ってしまうと急に力が抜けてどこかに座わりたい気分になった。しば らく壁にもたれて動悸を整え、火照った耳の感覚が戻るまでそこに立って休んだ。そ して前におねえさんと行ったルミネの喫茶店に入り、座ってホットココアを注文し た。ココアがきてゆっくりと飲んだ。

すこし落ち着いたので、わたしは自分がやっていることを冷静に考えた。

これは恋なのだろうか?

わたしってそんな素質があったのだろうか....

運命?....美しい偶然?....

幼い頃からわたしには、頑固で強情っぱりなのに、いざとなると何も喋れなくなるよ うなところがあった。自分の中では確信に近い答えがあっても、人と話をするときに は突然気弱になって、なにも喋らず、ただにこにこしてその場をやり過ごしてしまう のだ。そんな自分がずっと嫌だった。そして、いつの頃からか、ひとり想像の中で遊 ぶ癖がついた。予想されることは全て頭のなかで事前に準備しておくのである。相手 の考えと反応をあらかじめ想像して、それに応じて入念に自分の答えを用意してお く。この遊びは時にはうまく行った。ところが大抵の場合には何事もおこらず、せっ かくの準備が使われないまま、どこか心の奥の倉庫に眠ってしまうのだった。

プスプスと燻りながら...

わたしは臆病だったのだ。

人に何かを伝えること、そしてその結果を本能的に恐れていた。

そんな自分が今は何をやっているのだろう?

練習無しでオリンピックの舞台に立っている選手のような気持ちになった。

おねえさんについてわたしは何も知らない。

わたしは何をしたいのだろう....

ひとりで考えているうちに、なんだかよく分からなくなって考えるのをやめた。まわ りを見渡すと、会社帰りのOL風の女性達で店内は混み始めていた。

店を出ることに決めた。冷たい風にあたることにしよう。

夕方の甲州街道は、くたびれてはいたが、まだその威厳を保っていた。 灰色の巨大な戦艦に似た高島屋のビルにシャンデリアのようなライトが灯った。道の 反対側を見ると、いつかのレゲエのおっちゃんが立っていた。壁際でタバコを吸いな がら新聞を読んでいた。声をかけてみようと思ったけど、ちょっと考えてやめた。

わたしはカバンからマルボロメンソールを取り出して火をつけた。

ゆっくりと吐いた煙は頼りなく空に消えた。

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