下女中さんの作品「性転換」性転換4(続・病院編)

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尿失禁は過酷な訓練のお陰で、見る見る良くなって往きデ-タを取っていたメ-カ-の人も大喜びをしていました。

尿失禁を防ぐ訓練の他に大切な事は膣内部が塞がってしまうのを防ぐ事でした。

私の人工膣は、本人への快感はまったく考慮に入れられておりませんので一般的な人工膣よりは癒着をしないらしいのですが、それでも特殊なスティックを挿入して癒着を防ぎ男性を迎入れる事の出来る膣にしておかく必要がありました。

毎日看護婦が持って来る特殊スティックをベッドの上に仰向けに寝て女性が正常位の時に取る体位で挿入されていました。

処女膜を作られているのでそれを傷付けないために太さちょうどタンポンのアプリケ-タほどの小さなものですが、膣内に挿入し終わるとエアが送られ内部でどんどん太くなって圧迫感がぐいぐい押し寄せてくるのが分かります。

最初の頃は膀胱も圧迫されるのか、この訓練中にオシッコを漏らしてしまいシ-ツを汚し看護婦に怒られてばかりいました。

自分で汚したシ-ツとその下に敷いてある防水シ-トを持ってリネン室へ行くのですが、膣から拡張用スティックのエア用チュ-ブを垂らしながら下半身丸出しで長い廊下を歩いていくのは辛いものがありました。

訓練は色んな体位を想定して行われその間体勢はあまり動かせて貰えませんでした。

訓練は同室の患者さんにとっては恰好の暇つぶしのネタとなっておりそれが始まると全員が私のベッドの周りを取り囲むようにして好奇の目で訓練を眺めているのでした。

退院の日が決まったある日、私は医科大学に連れていかれました。

そこで授業に使われるとのことで、前日に病院内の床屋で延び始めた髪をスポ-ツ刈りにカットされていました。

ちなみに陰毛は毎日病院内の皮膚科でレ-ザ-で焼かれていましたのでその頃にはまったく陰毛のないツルツルのドテとなっており割れ目の隠しようもないまさしく丸出し状態でした。

ノ-ブラのハ-フトップでヘソ出しの上半身とボ-ダ柄のショ-ツにその柄が丸見えとなる薄い色と生地のスパッツを穿かされ大学に連れられて行きました。

その時にはただ恥ずかしいだけで気付かなかったのですが、この恰好は外来で良く見かけた事のある性病の検査に連れて来られていたジャパゆきさん達と同じ恰好だったのです。

その時まだ自分がこの恰好でジャパゆきさん達に混じって検査に連れて来られる運命を辿るとは想像すらしていませんでした。

教室の前の廊下で暫く待たされていると男の子3人を引率した中年の女性が私を連れて来ている病院の事務の女性に声をかけてきて話しを始めました。

その女性のは擁護施設から大学の要請で指定された子供を連れて来たが何をするのか、はっきり分からないので知っていたら教えて欲しいと聞いていました。

事務の女性は私を見ながら「性染色体の異常者、まぁ先天性奇形児っても言うけれどあまり酷くない奇形だけれどね、それのサンプルとそれによる性的異常者ってこいつのことだけれど、それらを授業で学生に見せるんですよ」と中年の女性に言ってました。

話をしている間に学生達が続々と教室の中に入っていきますが、授業の内容が分かっているだけに廊下で立って待っている私に投げかけられる視線には好奇が感じられました。

暫くすると助手の人が来て教室と中でつながっている準備室へ入るように言われ全員が中に入ると子供2人は全裸で残りのもう一人はブリ-フだけにさせるよう引率の女性に指示されていました。

事務の女性に、これも、全裸にしておいて下さいと言って隣の教室へ入っていきました事務の女性に促されて私は全裸になりましたが、ブリ-フ姿の中学生の視線にはなにかぞっとする物を感じていました。

両手を使い乳房とツルツルの陰部を隠そうとしますが、脱いだ下着類を畳むときや靴を脱いで裸足になるときにはどうしても隠しておけず子供達から「ア!オメコ丸見え!」と冷やかされてしまいました。

立って待っているときでも後ろからしゃがみ込んで覗こうとしたりしていました。

再び助手が現れ私達4人だけ隣りの教室に入ってくるように言われ助手の後を私は両手で前を隠しながらついて行きました。

教室の中に入ると雛壇状に並んだ座席で50人程の学生が授業を受けていました。

教壇の後ろの一段低くなったところに一列に並ばされ呼ばれるのを待つように指示されました。

性染色体が異常で生まれて来たときの事例として4人が選ばれた様で私とブリ-フ姿の中学生は全く正反対の性的異常者になりやすいと説明された後に私の本名が呼ばれ教壇の横の一段高くなった所へ立って床に描かれている足マ-クまで足を拡げ手は頭の上で組むように助手から指示されました。

恥ずかしい体をさらけ出しながら、自分が性的異常者で自らが望んでこの様な体になったと説明を聞かされるのはものすごく惨めな思いでいっぱいでした。

学生達に資料として配られていた私のプロフィ-ルは実名、現住所はおろか履歴書、身上書まで添付されており何ら修正は施されておらず配られてある資料と壇上の私を見比べながら薄笑いを浮かべている学生も多くいました。

後ろにいる子供たちからも丁度丸見えとなっているようでクスクス笑い声が聞こえてきました。

恥ずかしさのあまり頭がボ-としてしまいその後の事はよく覚えていないほどでした。

それから数日後に退院し東京に帰る事となりましたが、真弓様にお会い出来ると喜びに充ちて1ヶ月前に此の地に降り立った時には思いもしなかった

体につくり変えられれた私は、その後この地に再び連れてからは2度と人間らしい生活を送ることは出来なかったのです。

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